「三角関数」と聞くと、高校時代、数学の時間に苦労したことを思い出す人も少なくないかもしれません。そんな三角関数が今、ネット上で議論の中心となっています。
発端となったのは、1月1日に放送されたAbemaTVの番組内での前大阪市長・橋下徹氏の「三角関数は生きていくのには必要な知識ではないのだから、選択制にすればよい」という旨の発言です。
■興味や面白みを感じない生徒には不要!?
加えて、橋下氏は自身のTwitterでも、「興味や面白みを感じない生徒には、それ以上突っ込んだ三角関数の計算の演習は不要」「今はあまりにも『死に知識』が多いシステム」とも投稿しており、ネット上で物議を醸しています。
■噴出する「死に知識」発言への批判
特に三角関数を「死に知識」と評したことに関して、
「必要だったかどうかは本人が学習してからじゃないとわからないのでは」「自分が使わない知識を必要ないと言い切れる感性ヤバい」
「興味や面白みを感じない生徒は学ぶ必要がないって、教育なんかしなくてよいって言ってるのと同じでは」などと否定的な意見が多く挙がっています。
また、橋下氏の「大まかにでも職業教育を行い、自分の進路をある程度見定めて必要なことを徹底して勉強していくべき」という旨の言葉に対しては、
「突き詰めれば金銭的価値を生むかどうかだけが重要で、知性ある人を育てようとは思ってないんだろうな」
「教育は、その人が何になるかわからないから何にでもなれるように広く浅くでやってるのに、これだと結果として職業選択の可能性を狭めることになっている」といった批判がなされています。
■根が同じ問題はこれまでにも
こうした「教育の実用性」についての問題は、これまで幾度となく話題になっています。2014年には文科省の有識者会議で、「G(グローバル)型大学/L(ローカル)型大学」という分類を行い、
「一部の大学(=G型大学)を除いて、ほとんどの大学(=L型大学)は職業訓練校になるべき」という趣旨の提言がなされ、波紋を呼びました。
L型大学のカリキュラムは、「文学部はシェイクスピアや文学概論ではなく、観光業で必要になる英語、地元の歴史・文化の名所説明力を身につける」など、実務的な内容に偏っており、ネットでは、
「日本の文化崩壊につながる」「教育格差がますます広がる」「L型の教育科目、近いうちに全部AIで代替できそう」と非難する声が大半を占めました。
■必要なのは「人間だからできること」
また、2018年春には、現行のセンター試験に替わって行われる「大学入試共通テスト」や学習指導要領の変化から、
明治大学の伊藤氏貴准教授が「高校国語から文学が消えるのでは」と危惧する声を上げ、これについても議論が起こっていました。
こうした議論を見るに、AIなど技術が発達していく中で、「知識やスキルを詰め込むだけではやっていけない」というのが多くの人の考えに共通していると考えてよいでしょう。
単調な作業は機械やAIに取って替わられるから、というだけではありません。科学技術が急激に発展していくと、たとえばAIや遺伝子操作、
あるいはテクノロジーの軍事利用など多くの先端分野で、「その技術を社会の中でどう位置づけるか」「どこまではやっていいのか、
どこからはやってはいけないのか」といった倫理的な問題が出てきます。これは社会全体で考えていかなければならないことです。
そして、そのためには、単にテクニカルな知識・実用的な知識だけではなく、社会・政治・歴史・哲学など幅広い知見が求められることになります。
■教育に実用性をどこまで求めるか
こうして先端技術の分野で「倫理」などを問われる機会がこれから増えていくことは目に見えており、上記のような議論の中で「役に立たない」
と言われてきた歴史や哲学・文学・芸術などが非常に重要となってくる時代は、実はすぐそこまできているとも考えられます。
しかしながら、現在の大学が「就職のための存在」になりつつあること、あるいは政府や政治家、政治的権力を持つ人たちから発せられる
さまざまな発言・構想からは、そういった流れに反するものも多く感じられます。
「役に立つ」とわかっていることだけを行うことが、これからの教育のスタンダードとなってしまうのでしょうか。教育に実用性をどこまで求めるのか、今一度、問い直したいテーマです。
はいはい
バカ親から生まれた子供はやっぱりバカ
能書きいいから肉体労働やれや
生き死にだけが学問ではない。
知識だけを獲得しようとして、この人は失敗している。
見方や考え方を学ぶことで、どれだけ生活が豊かになるかを知らない人の、なんと多いことか。
>生きていくのには必要な知識ではない
橋下って記憶力だけの短絡馬鹿だな
そんなこといったら生活家庭科以外いらなくなるぞ
じゃ、高校いらないだろ。公立廃止しろ。
実務ではアプリケーションが計算してくれるのであれば、計算してくれるアプリケーションで必要になる事項を覚えたほうが実用的なのだろうか
そもそも、数学の分野ごとに順番に習うのではなく、生きていくのに必要な優先順位に基づいて習えば、
優先順位の低いものは選択制になるのだろうか
これだから学問をやったことがない奴はダメなんだ。
◯◯関数の知識は要らない←ゆとりと同じ
◯◯関数より◻◻関数の知識の方が必要だ← 正しい指摘方法。
それなら提案を出せよバカ野郎
生活するのに必要ないけど、仕事をするには必要な知識。
夫婦で掃除洗濯炊事子育てするだけで生きていけるから三角関数は必要ない
指数関数で表せるし
少なくとも都構想再住民投票は不要
日頃0点のやつは500点は取れない
トップならどっちを採用するんだ?
必要ないというやつは0点の人間を採用してからほざけよ
まあ一般人にはいらんよね
恋愛学でも学んだ方が少子化には役立つかもな
このスレにもハゲ散らかすまで三角関数勉強しちゃったから
独り身だってヤシ多いと思う
数学の苦手な人間は麻雀でいつもツイテナイツイテナイという呪文をその日が終わるまで唱えている
スポーツ選手もなかなか実力が出せないスランプダスランプダという呪文を現役生活が終わるまで唱えている
数学を学んだ人間は、ニートになって親に養ってもらっている
数学的にモデリングして証明せよ
これは戦争の端諸。
マジやで
普通金持ちになると文化的なことに関心を持つものだけどね
ハシゲは、大阪市の文化事業費ぶった切ってたな。
要らない人間(生産性がない人間)は必要ない、という発想になりやすい
数学よりも、人に愛される力を学びましょう
忘れてもいいからそういうのがあったって記憶が重要
んで、さらにいえば三角関数があることで何ができるかの説明がもっとあるといい
どれだけ知識が広がるか考えたことも無いんだろう
学問に垣根は無いからな。
賛成
文系には不要。